まず、DOJOサポーターのメーリングリストに寄せられた、マメシバ亭主さんによるゴー宣253章の感想を転載します。
原爆の悲惨さはなぜ伝わらないのか?拝読しました。
DOJO当日に原爆資料館に行っても自分の右脳が動き出さなかった事、自らが被爆しているのに原爆の人体実験、都市実験の結果報告を淡々としてどうするんだよ?って不謹慎にも思ってしまった事が間違いなかったんだと思いました。
恐らく現在の核保有国は核が悲惨のものとの認識はないでしょう。素敵な武器と思っていそうです。
残念ですが、話してもわからないと思います。被爆国自らが核兵器を所持し、核保有国も核の恐怖にさらされないとわからないのかもしれません。
ところで、よしりん先生、当時はカメラが大変な貴重品で…のカメラがとっても渋いですね!!
今でもすごい貴重ですよこれ。どうやって選定されたのか…。こち亀もびっくりなカメラです!!
すいません、感想本文にも大いに同意しつつ、マニアックなカメラの方に反応してしまいました(笑)(なんとなく、このカメラの選定はチーフ広井さんかな?と想像しています)。
一方、そこから「核兵器投下直後の写真・映像記録」について色々考えました。
仮に、原爆投下時にもっとカメラが普及していたとしても、投下直後・爆心地近くの撮影は困難だった可能性があります。
その理由は、カメラという装置は原理的に「放射線に弱い」からです。
まず未使用・未現像のフィルムは、強い放射線を当てるとその部分が「感光」してしまいます。空港のX線検査でもカブリが発生する事がある位なので、たとえ熱線や爆風から逃れられても、爆心地近くのフィルムはのきなみ放射線でダメになっていた可能性があります(広島に落とされたのが「原子爆弾である」と判明したのも、病院の地下に保管されていたレントゲンフィルムが感光していたため)。
実は、これは現代のデジタルカメラの撮像素子も同じです。最近も、福島第一原発のデブリ取り出し作業で装置に取り付けられていたカメラは、放射線の影響で壊れてしまいました。
20世紀は「映像の世紀」とも言われますが、人類にとって20世紀最大級の惨禍であった原爆投下の中心地において、テクノロジーによる撮影は全く無力だったのです。
そして、原爆投下直後の悲惨さを後世にまで記せたのは、生きながらえた人の「念」によって描かれた絵でした。
これは見方を変えれば、例えば現代のテクノロジーを活用した展示手法も、「念」の込められ方によって伝わり方が全く違ってくるという事につながります。
そこに必要なのは、主体のないふわっとした「平和祈念」ではなく、唯一の被爆国である日本であるからこそ発する事のできる主体的なメッセージ(念)をしっかり記す事。
DOJO当日に続き、今回の253章の読後にもそれを再認識しました。
「念写」という言葉は超能力トリックを指すものとして使われますが、資料館の展示は(ビジュアル以外の、文章等も含めて)文字通りの意味での「念写」たるべきなのでしょう。
追記
「夫婦の絆」の宣伝動画も、特段の「念」を持って取り組みます!